曽我兄弟の墓
知足寺の境内西方の丘に、室町時代の『曽我物語』で有名になった曽我兄弟と二宮弥太郎朝定夫妻の大きな自然石の墓石があり、土地の人は「曽我兄弟の墓」と呼んでいます。兄弟は建久3年(1192)5月父の仇工藤祐経を討って永年の本懐を遂げ、討ち死にしました。その後姉は出家し、ねんごろに兄弟の菩提を弔いました。
知足寺の境内西方の丘に、室町時代の『曽我物語』で有名になった曽我兄弟と二宮弥太郎朝定夫妻の大きな自然石の墓石があり、土地の人は「曽我兄弟の墓」と呼んでいます。兄弟は建久3年(1192)5月父の仇工藤祐経を討って永年の本懐を遂げ、討ち死にしました。その後姉は出家し、ねんごろに兄弟の菩提を弔いました。