| 歴史と文化 No.2 |
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| 川勾神社の南、切通しの手前にあり、鎌倉時代に大僧都快實の開山になる真言宗東寺派の由緒ある寺です。本尊は與教大師作といわれる不動尊で、寺宝として木造釈迦如来、観音像、涅槃(ネハン)像三宝院流敷曼茶羅等があります。境内には町の天然記念物に指定されたかやの大木があり、樹齢は500年といわれています。 |
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| 西光寺の山門を入った左手に、「身代延命子育地蔵」があります。寛政年間の大津波で大勢のこどもが死んだ時、こどもの慰霊と厄除けのために建てられたもの、あるいは、その当時疫病が流行し、大勢のこどもが病死したのを悼んで押切村の人が建てたともいわれています。子を思う人々の思いは今も昔も変わらないのでしょう。 |
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| 川勾神社の入口の切り通しの小さな祠の中に「袖切り地蔵」が祀られています。この地蔵さまの前の道ができたころは、石ころだらけのでこぼこの道でこどもがよく転んでいました。「袖が切れてもケガがなくてよかった」と、切れた袖を供えて「これからも、こどもにケガがありませんように」とお願いしたのがその名の由来だといわれています。 |
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| 二宮・大磯間の富士見平バス停近くの小さな祠の中に石の地蔵尊が祀られています。むかし、この近くに一軒家があり、ある日主人が伊勢参りに出かけたまま何年も戻らないため、残された妻と子は一家の柱の後を追うことを決意し、命をたったということです。このお地蔵さんは、その妻と子の供養のために建てられたものといわれ、今も道行く旅人の安全を見守っているかのようです。 |
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| 下町の海岸にでる小道に小さい祠があります。中には一つの石碑と五体の石仏などが祀られています。むかし、伊豆方面から石材を積んだ船が二宮沖で突風にあい沈没。土地の人々の必死の救助もむなしく、6名が死亡、2人が助かりました。遺体は海前寺に手厚く葬られ、二宮の人々の温かい心に感激した船主と家族は一つの石碑と五体の石仏を運んできて、お礼と供養のためにこの浜辺に建ててくれるよう頼んだのです。以来、水難、海難に限らず、災難除の観音さんとして、人々に親しまれています。 |
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